湖の底に。

ホロスコープ、タロット、日々のひとりごとを連ねてゆきます。

ただ、そこにいること。

人の評価なんて気にしたところで、何にもならない事は、わかっているから、そんな事を考える暇があるなら、もっと建設的なことを実行したい。


結果が全て。

うだうだ考えても何も動かない。


誰にも怒られていないし

誰にも責められていない


だから余計に考える。


なぜ、ピックアップされたのかを考えたら、全くなぜなのか解らない。未だに解らない。


爆発的な事は、何も起こせないし、大きな恩恵もつくりだせない。


真面目で飯は食えない。


その事くらい、よくわかっている。


だから、いたたまれなくなる。たまにね。


こつこつ、やり続ける事はできるけど、

真面目だけじゃ、利益は生まれない。


その、一部になり損なっていることが、いたたまれない。


だから、他に何にも持たないから

努力し続ける事をやめたら、

それこそ何もなくなるよ笑笑


笑顔でいること

頑張り続けることは

悪いことでは決して無いけど


これだけでは利益はうまれない。


やりたい事もできて、

視野が広がって、

丁度いいくらいの

流れが整ってきている。


ただ、私にとっては

貢献できずに

そこにいる事は、

わたしにとって、

かなりいたたまれない事態だ。

魚座の日蝕に思うこと

f:id:plutoreborn:20170226163017j:plain


############

普段は無かった事にしていること

普段は見ないようにしていた気持ち

普段は見られたくない感情


人にはそれぞれ隠したい物を

晒したくないものを

抱えて暮らしてるんだよな。


いくら「無理だ」と非難されても、

己の中に炎が少しでも燃えているなら、

自分の納得いくところまで

どれだけカッコ悪くてもいいから

やってみればいいと思う。


カッコ悪くて

晒したところからしか

見えないものもある。


自分の中に、

「今より先にある未来」へ

の、可能性を感じられるなら

その可能性を感じなくなるまで

戦ってみても良いんじゃないかな。


「これより先に行ったことない!」

と、もがいて喚いてる人が、

先に進めるようになるまで、

寄り添えるような「情熱」が、

自分の中に感じられるなら、

納得いくまで頑張れるとおもう。


自分が潰れるような

人間関係は、

あまり肯定できないけど。


けど、頑張ってみたいなら

それも愛なのかなと、

なんとなく思ったのです。


いろんな人の

いろんなカタチ。

愛って難しい。

魚座の日蝕に思うこと



############

普段は無かった事にしていること

普段は見ないようにしていた気持ち

普段は見られたくない感情


人にはそれぞれ隠したい物を

晒したくないものを

抱えて暮らしてるんだよな。


いくら「無理だ」と非難されても、

己の中に炎が少しでも燃えているなら、

自分の納得いくところまで

どれだけカッコ悪くてもいいから

やってみればいいと思う。


カッコ悪くて

晒したところからしか

見えないものもある。


自分の中に、

「今より先にある未来」へ

の、可能性を感じられるなら

その可能性を感じなくなるまで

戦ってみても良いんじゃないかな。


「これより先に行ったことない!」

と、もがいて喚いてる人が、

先に進めるようになるまで、

寄り添えるような「情熱」が、

自分の中に感じられるなら、

納得いくまで頑張れるとおもう。


自分が潰れるような

人間関係は、

あまり肯定できないけど。


けど、頑張ってみたいなら

それも愛なのかなと、

なんとなく思ったのです。


いろんな人の

いろんなカタチ。

愛って難しい。

学んだこと。

7年ぶりの食べて祈って恋をしてを見て思った。


2010年に見たときは、結構タイムリーに色んなものを失ったり、周りが見えなくなって、自分も見えなくなっていたから、この映画が沁みた。



けど、今日もう一度じっくり見た時に、7年前には感じなかった感情と思いがジンワリと浮かんだ。



あの時の私は、恋に盲目的で、自分すら見失っていたし、自分の感情ばかりで埋め尽くされていて、「裏切られた」「選ばれなかった」「もう信用できない」「バランスが崩れる事は生きづらい」「失うくらいなら好きにならない」とか、とにかく、あの結果の中に間違いなく私にも至らない点は多々あった。


責めて、批判して、周りに賛同を巻き込んで、そんな事をしても自分が救われる事なんて無かったのに、あの時は、そうするしか方法も無かった。



それから、同じ失敗をする事は、無かったけれど、その時の自分や、関わった人達を許せるまでに6年かかった。


もう、大丈夫。

と、思えるまでには、何度も黒い気持ちに苛まれたり、「また裏切られるのでは?」「私の気持ちが変わるのでは?」「バランスを崩して、また自分を見失ってしまうのでは?」


私にとって、恋とか愛とか、そういう気持ちは無くてはならないもの。


でも、それ自体は余りにも曖昧で、間違えると恐ろしい想いすらしてしまうような危険も孕んでいるわけで。


それでも、やっぱり、やめられない。



私も、リズが言ったように

恋や愛とか、そういうことで

自分の中の心の調和を崩すことが

堪らなく怖くなって、

「またあんな想いをするのでは」


と、結局のところ、

喜びより、その向こう側にある

いずれ何かしらのカタチで訪れる

「別れ」の方に意識が

いってしまったんだな。


老師クティがリズに言った


「愛のために調和を失うことは、調和のある生き方の一部なんだよ。」


なんだか、この言葉が

わたしはグッサリきちゃったな。


私はもう前から決まってる

再度この言葉で気付いたのは、

7年前に、ズタボロになった想いは

今の私の中では、とうに癒えていて


ちゃんと、新しい想いが

私の中に育っていて、

うまくいえないけれど、

私らしいカタチで、

自分の喜びをちゃんと

把握して、抱きしめる事が

できているんだなと、

幸せだなと、

思ったのでした。


怖い。

怖くても、必ず

自分が勇気を出して

信じた先には必ず、

答えは見つかる。


正しいかなんて

誰にも決められないよ。

本当の喜び。

自分は自分だ。

と、自分の意思を

しっかり持とうとする度に、

立てたはずの意思がたまにグラつく。


世の中の、あたりまえと

こうあるべきだとか

女なんだから、とか30過ぎたんだから。

とか。


多分これから、

たくさん聞かれることになる。


『ご結婚は?』『お付き合いしてる人は?』


もう既に聞かれるけど

これからもっと増えるだろうね。


20代で考えて出した結論が

ひとつ私の中にはある。


わたしは、考えた過程があって

結婚も出産も望まないと、

今の時点では思っていて、

数年後か十数年後に訪れる


今後選べなくなる選択肢


に、ついてもよく考えた上での

答えを出したと言い切れる。


やりたいこと、

向かいたいところ、

伴うパートナーシップ、

それぞれに理想を

自分の中で描いた。


だから、後悔しない。

と、信じているけど。


たまに怖くなる。


本当に、ずっとちゃんと、

そんなに強く居られるのか?

と。


でも、妥協で結婚や出産なんて

わたしは出来ないし、

愛せもしない人と、

一緒に生計を共にするなんて

全くもって生きてる心地なんて

しないだろうし。


でも、自分の望む理想は

実現可能かなんて、

奇跡でも起きない限り


無理だと思う。


ましてや自分が、

心底愛せる人なら

結婚も出産もアリだとは

思う。

けど、現時点で

それは叶いもしないし、

私も望まない。


それでも理想を

胸に生きていくのは、

人生の中で0.01%でも

『死ぬほど生きてて良かった』

と、思える瞬間の為に、

地道に歩く選択肢を

捨てられないんだろうなと、

思う。


『死ぬほど生きてて良かった』


と、思える瞬間は

人それぞれ違うだろうし

自分も、そんな体験を

してしまったから、

こんな道を選んで

しまったんだろうなと。


なにもかも紙一重

失敗したら

バカなやつだったと

笑ってね笑笑

涙に暮れたら、幸せの合図。

説明が長くなるのすごい嫌💦💦

簡潔に言葉にしたい。。

嫌だ‥。


自分の納得いく言葉なんて

程遠いわな。


と、自分の事になると

結局手厳しい判断になるの

ちょっと緩めよ。


人の許せない部分は、

自己の許せない部分の投影なら

逆に、

人を許したり、人を認められるなら

自分を許したり、自分を認めることも

またひとつ。

#######################


1度、目の前に作った壁やハードルは

簡単には無くならない。

越えられずに落ちたり、

膝を擦りむいた記憶は蘇るし

もう、あんな痛い想いはしたくない

と、下唇を噛み締めてみたり。


あと、1度自分の身体の一部に

してしまったものを

身体から引き剥がして

奪われてしまったり

大事に創りあげたものを

破壊されてしまったりして


落胆して、涙に暮れて、

もう2度と、こんな想いはしない

こんな想いをするくらいなら

もうしない。


と、思うけど。


人の傷は、ちゃんと癒える


どれだけ再起不能だと感じても

ちゃんと過程を経て癒える。


泣いても、喚いても、

カッコ悪くってもいい。


その方が人間らしくて

いいじゃないの。


みんな1人じゃない。

絶対に誰かいる。



涙に暮れたら

幸せの合図。


幸せの一歩手前。


落胆したら、洞窟を抜ける

少し手前。


絶対に、

そこで終わらない。


終わらないよ。

知らないことだらけ。


「知りたい事、深めたい事」
いくら知ろうとしても、
知らないことがどんどん。

なるほどなぁ
と、思う反面で
無知だなぁ
とも、思う。

占星術の歴史の本を
読み始めて、
前から持ってた本も
読み返してみて、
あらためて頷く事もあり、
大変興味深い。

人のホロスコープ
見させてもらうとき。
まだ、自分の言葉では
それぞれの星座と天体の
解釈ができない。

論理的な捉え方と
直感的な捉え方と

また、捉えたものを
相手にわかってもらいやすい
言葉でアウトプットすることは
積み重ねて慣れる他ない。

道筋の先にあるものを見つめると
途方にくれるような終わりのない
不安感に包まれたり、
本当に到達することなんて
できるのだろうか?
と、気力を失ってしまったり
するかもしれない。

でも「出来っこない」
と、思ってきたものが、
ずっと出来っこないまま
終わるわけでは無い。

石井ゆかりさんの
土星の解釈について】に
面白いたとえ話があったので
ご紹介したい。

以下、『石井ゆかりの星占いの教室ノート』(著/石井ゆかり /実業乃日本社)より引用。

############################
動物のお医者さん』(著/佐々木倫子 白泉社)という有名な少女漫画に、「ラジカセ犬のパフ」という犬の話が出てきます。
パフは、小さな子犬の頃、外に出される時には、ラジカセに紐で繋がれていました。子犬の力ではラジカセは動かせないので、いい重しだったのです。それから数年経って、パフは立派な成犬になったのですが、ラジカセに繋がれるとやっぱりラジカセの周りをうろうろして、逃げようとしません。
子犬の頃、ラジカセをどんだけ引っ張っても動かせなかったので、成犬になっても、動かせないと信じているのです。
私は、土星とはどうも、このラジカセではないのでは、という気がするのです。
私達は誰もが、心の中に、こんな、「動かせるのに動かせないと思い込んでいるなにか」を持っていて、その周りをぐるぐると回って悩んでいるところがあるのではないでしょうか。
本当はできるのに、出来ないと思い込んでいる事。
このことのせいで、望みの場所へ行けないのです。

ああしたい、こうしたい、どうしてこうならないのだろう。

遠くにある「いいもの」を眺めながら、もう簡単に引きずって動かせるラジカセに、縛られ続けているのです。

経験を積み、様々なことを学び、自分を鍛えてきた今なら、それは引っ張れば簡単に動かせるのではないでしょうか。
そして、ずるずると付いてきて邪魔かも知れないけれど、欲しいものがある場所までなら、我慢して引きずっていけるのではないでしょうか。

さらにそうして引きずって歩いているうちに、私達の身体には、素晴らしい「筋力」「力」が鍛え上げられ、身についているはずなのです。

######################################

星占いの中には、たくさんの歴史的背景があって、不確かな漠然とした要素と論理的に組み立てられ、利用しようとしてきたいくつもの側面があるといいます。

それを、たとえ話を用いて表現できるって本当尊敬する。

私は飲み込みが遅いから何度も同じ事を繰り返して、身につけていくしかない。

才能は、有っても無くてもどっちでもいい。

努力の積み重ねは、必ず身についていく。

鍛えれば、筋力がついていくように!

結果的に振り返ると、
当時できっこないよ。。
と、思ってきたことでも、
今なら出来ることって

たくさんある。

絶対、みんなにもある。

さて、頑張るよ!