湖の底に。

ホロスコープ、タロット、日々のひとりごとを連ねてゆきます。

余白

私は、こういうものです。

と、相手に伝える時、

これまでの自分の経験で

積んできたものに基づいて

自分という人間を紹介する。



ぱっ、と思いつくのは

名前、出身地、年齢、趣味、仕事など。


誰に対してかでも、

どれを伝えるかは変わるのかな。




でも、自分から何も情報を

相手に与えなかったとしたら

私という人間は、どのように映るだろうか。


ユナイテッド航空の一件で、

少しそういう事を考えた。



ある人は「女だな」って思うかもしれない

ある人は「アジア人だ」って思うかもしれない

ある人は「お母さんくらいの年齢の人」って思うかもしれない


でも、それは目に見える外観から入る情報に基づいた判断であって、声だけなら、声のトーンや言語で判断するかもしれないし、見えない、聴こえない人なら握手した感触をもとに相手を判断するかもしれない。



その人が、何をして、どういう生き方や環境のもとで育ち、どんな思想をもって、どんな経験をしてきたかなんて、1度だけの、ひとつの情報では、全て解らない。



どれだけ悪と感じるものも

どれだけ正しいと感じるものも

どれだけ嫌だと思うものも


見る人が変われば、

入る情報量が変われば、

判断が反転すらする可能性は充分にある。



どんな人にも

どんなものにも


全てに背景と歴史があって

辿ってきた道があるわけだ。



自分にだって受け付けないほど生理的に厳しいものは、どうしてもある。



けれど、一度きりの

その瞬間的な情報量だけでは

判断してしまわないようには、

常々気を付けているつもり。



それに意味はあるのかと

聞かれると、何故そうするかは

自分も解らない。


けど、

瞬間的な情報量で

物事を判断や切り捨てる行為を

しなければ、余白が生まれるわけで


そういう化けるかもしれない余白は


常々作りたいなと思っているから



そういう風に生きていたい。