湖の底に。

ホロスコープ、タロット、日々のひとりごとを連ねてゆきます。

学んだこと。

7年ぶりの食べて祈って恋をしてを見て思った。


2010年に見たときは、結構タイムリーに色んなものを失ったり、周りが見えなくなって、自分も見えなくなっていたから、この映画が沁みた。



けど、今日もう一度じっくり見た時に、7年前には感じなかった感情と思いがジンワリと浮かんだ。



あの時の私は、恋に盲目的で、自分すら見失っていたし、自分の感情ばかりで埋め尽くされていて、「裏切られた」「選ばれなかった」「もう信用できない」「バランスが崩れる事は生きづらい」「失うくらいなら好きにならない」とか、とにかく、あの結果の中に間違いなく私にも至らない点は多々あった。


責めて、批判して、周りに賛同を巻き込んで、そんな事をしても自分が救われる事なんて無かったのに、あの時は、そうするしか方法も無かった。



それから、同じ失敗をする事は、無かったけれど、その時の自分や、関わった人達を許せるまでに6年かかった。


もう、大丈夫。

と、思えるまでには、何度も黒い気持ちに苛まれたり、「また裏切られるのでは?」「私の気持ちが変わるのでは?」「バランスを崩して、また自分を見失ってしまうのでは?」


私にとって、恋とか愛とか、そういう気持ちは無くてはならないもの。


でも、それ自体は余りにも曖昧で、間違えると恐ろしい想いすらしてしまうような危険も孕んでいるわけで。


それでも、やっぱり、やめられない。



私も、リズが言ったように

恋や愛とか、そういうことで

自分の中の心の調和を崩すことが

堪らなく怖くなって、

「またあんな想いをするのでは」


と、結局のところ、

喜びより、その向こう側にある

いずれ何かしらのカタチで訪れる

「別れ」の方に意識が

いってしまったんだな。


老師クティがリズに言った


「愛のために調和を失うことは、調和のある生き方の一部なんだよ。」


なんだか、この言葉が

わたしはグッサリきちゃったな。


私はもう前から決まってる

再度この言葉で気付いたのは、

7年前に、ズタボロになった想いは

今の私の中では、とうに癒えていて


ちゃんと、新しい想いが

私の中に育っていて、

うまくいえないけれど、

私らしいカタチで、

自分の喜びをちゃんと

把握して、抱きしめる事が

できているんだなと、

幸せだなと、

思ったのでした。


怖い。

怖くても、必ず

自分が勇気を出して

信じた先には必ず、

答えは見つかる。


正しいかなんて

誰にも決められないよ。